EPAによるオゾン新基準値の提案根拠

先日書いたように,ヒト健康影響に関する第1次NAAQSは「8時間平均値で0.070〜0.075 ppmの範囲」が提案された.これまでの経緯をおさらいすると,2007年1月のStaff Paperでは,「0.080ppmをやや下回る値から0.060ppmまでの範囲」を推奨し,上限0.074ppm,中央値0.070ppm,下限値0.064ppmとして,曝露およびリスクの推計が試みられた.これに対して,CASACは2006年10月24日付のletterにおいて,0.060〜0.070ppmを推奨していた.
そして,今回出た提案ルール(Proposed Rule)では,0.070〜0.075ppmの範囲が提案された.ただし,様々な不確実性に対する捉え方の違いを反映して,0.060〜0.084ppmまでを含んだパブコメを求めている.そこで,この「0.070〜0.075ppm」という数字の根拠を探ってみた.
EPAが新基準値を提案した際に考慮したことがらは,1)Criteria DocumentとStaff Paperの証拠に基づく考察,2)Staff Paperにおける曝露およびリスク評価,3)CASACの勧告,4)EPAスタッフの勧告,5)パブコメ,とされている(p.238).
検討対象となっている証拠は,ヒトを対象とした臨床研究(clinical studies)と疫学研究(epidemiological studies)の2種類だ.臨床研究はヒトボランティアによる曝露実験であり,最近実施された2つの研究(Adams 2002, 2006)が新たな証拠としてとりあげられている.0.060ppmという低い値で,若い健康な成人に対して,小さいが統計的に有意な健康影響(肺機能の低下と呼吸器症状)が見られた(p.43).疫学研究では,マルチシティ研究,シングルシティ研究,メタ分析が取り上げられ,現行の基準値より低いレベルでも死亡影響などに統計的に有意な影響が見られ,これ以下なら安全であるというはっきりとした閾値が見出せない(p.241).そのため,基準値を選択することは,(科学そのものではなく)"public health policy judgment"(政策判断)であると書かれている(p.243).
ここで,Clean Air Actの「十分な安全マージン」条項と,基準値を設定する際にけっして対策費用を考慮してはならないという判例,という2つの制約が効いてくる.閾値が見出せないのならば,「十分な安全マージン」を確保するために基準値をバックグラウンドレベルあたりまで低くせざるを得ないのだろうか?
でもそれでは実行不可能だ.そこで用意された理屈は「オゾン曝露と健康悪影響の間の因果関係は,曝露レベルが低くなればなるほど不確実性が増す」というものだった.そして,「現時点で得られる情報を総合すると,0.070ppmよりも低い基準値とすることで追加的に得られる人々の健康保護はその存在と大きさに関する不確実性がさらに増すことから,そのような低い基準値は十分な安全マージンを伴って人々の健康を保護するために必要なレベルよりも下回るものだと考えられる」(p.245)と長官は判断したということになった.つまり,疫学の,相関は見出せても因果関係は見出せない,あるいは,他の汚染物質などの交絡因子を完全には取り除けていないといった不確実性を根拠として,下限値を決めたのである.しかし,CASACはその同じ「十分な安全マージンを伴って人々の健康を保護する」という要請に基づいて0.060〜0.070ppmという勧告を行ったと強調している.

EPAプレゼンスライドの12枚目に提案の根拠が簡潔にまとめられている.

  • 0.070ppmよりも小さい値が適切でない理由:これ以上低いレベルになると,オゾン曝露と特定の健康影響を結びつける証拠がますます弱くなるから.
  • 0.075ppmよりも大きな値が適切でない理由:1)健康な人々について0.080ppmで健康悪影響が見られる強い臨床的な証拠がある.2)ぜんそく患者が健康な人々よりもずっと深刻な影響を受けやすいという臨床的および疫学的な証拠がかなりある.3)0.075ppmを上回る公衆衛生上のリスクの存在と大きさについての証拠がある.

最後の3)は,Staff Paperで示された曝露・リスク評価を指している.まもなく公表される,提案ルールに関する規制影響分析(RIA)では,さらに進んで,提案された新基準値(現在はまだ点でなく範囲である)についての費用と便益が示されるはずだ.見所は,死亡リスク削減便益が定量的に推計されているかどうか.もしそうならその場合に,確率的生命価値(VSL)は通常通りの約6億円が使用されるかどうか.オゾンの場合は短期曝露の影響なので,損失余命は(刈り取り効果と呼ばれるように)すごく短いのではないかと思われる.そのため,効果を,救命人数で表現する場合と,獲得余命年数で表現する場合とで印象が大きく違ってくるだろう.