行動経済学会でLoewenstein教授の講演を聞く。

いい講演はいい触媒になる。聞きながらいろんなことを思いついてメモした。George Loewenstein教授はその守備範囲の広さと新しいものへの感度の鋭さにいつも脱帽させられるんだけど、彼の中でいまホットな行動経済学ネタは、"Nudge"系の話だったことにちょっと驚いた。オリジナルの事例は豊富で彼なりの切り口なんだけど、講演で何度も引用してたThaler and Sunsteinの著書"Nudge"にややかぶる。既視感があったのは、過去のSociety for Risk Analysis (SRA)でCass Sunstein氏の講演をすでに聞いていたからかもしれない。

講演を聞いて初めて知ったことは、2003年にThaler and Sunsteinが"Libertarian Paternalism"と初めて命名したのと同時期に、Loewenstein氏らも同じ内容を"Asymmetric Paternalism"と名付けた論文を発表していたこと。人目を引くとかキャッチーだって点で、"Libertarian Paternalism"の圧勝だと思う。そもそも"Asymmetric Paternalism"はアカデミックすぎるし、正直意味もよく分からない。

これらの言葉の意味するところは、「人々の怠惰・錯誤・偏りは通常は彼らにとってよくないものだけど、それらありきで制度設計することによって、怠惰・錯誤・偏りそのままでも彼らが得をするように導いてあげる」という感じ。この「導いてあげる」ニュアンスを一番うまく伝えてる単語が"nudge"(肘でそっと突くとかという意味)。ここでいう「人々」には、実は、一般人だけでなく、様々な専門家も含まれる。政治家だったり、たぶん野球やサッカーの監督だったり、アマチュアであれ、プロであれ、人々はヒトである以上、何らかのバイアスや錯誤から自由になることはできない。

伝統的な経済学は、自分自身にとって何がベストか一番よく知っているのは自分自身であるという仮定のもとになりたっていたので、借金漬けだとか肥満だとかの先送りだとか、自分にマイナスな行動を説明することができなかった。そこで、第一世代の行動経済学は、そういった伝統的な経済学が「例外」とした事象を次々「説明」していった。そして、続く第二世代の行動経済学は、その「例外」を「ありふれたこと」あるいはむしろ「基本」としてとらえた上で、人々の状態を改善するための制度設計を考え始めた。これは"Nudge"で最初に例示されたカフェテリアのメニューの並び方から、様々な場面でのルールや、法律や規制のあり方にまで話は及ぶ。

環境・健康・安全といった分野に、社会科学的な知見が必要だとよく言われるわりに、具体的に何が求められているのかよく分からないことが多い。少なくとも行動経済学的な知見は必要だろう。健康については、肥満問題を通して、行動経済学はしばしば対象としている。環境も、地球温暖化問題を対象に行動経済学的アプローチが検討された例がある。ただ、安全・安心についてはまだあまり適用例がないかもしれない。ヒューマンエラーなんてNudgeの得意分野かもしれない。