アースデイのイベントで考えた

代々木公園のアースデイのイベントを見てきた.大きなイベントになったなあというのが最初の感想.地球環境問題を考えている人がこんなに増えたのなら世の中変わるかもと思ったりした.しかし,違和感も感じた.そのあと,原宿駅を越えて表参道の人込みに入ったとき,「こっちの世界」とさっきまでいた「あっちの世界」のギャップに驚きつつ,こっちの方が居心地がいいかもと感じている自分もいた.
1997年の京都会議のとき,ある環境団体の仕事を手伝っていた.その頃いつも考えていたことは,電気をこまめに消して,いつも買い物袋を持ち歩くような「いい人たち」だけじゃなくて,なまけものや利己的な人たちや「悪い」人たちをどうやって巻き込むか,というものだった.
代々木公園で見たアースデイ・イベントは規模は拡大していたかもしれないけど,価値観がすっかり確立されたひとつのサークルになっていた.「定着」とは「柔軟性」を失うことだ.そこから1歩出るともうまったく価値観の相容れない無数の人たちが表参道でショッピングを楽しんでいる.
地球環境問題を考えることと,動物実験反対やエスニックフードや民族楽器は直接関係ない.もちろん,そういう嗜好は悪いことではないし,そういう嗜好と相性が良いこともたしかだ.でも,そういう嗜好や価値観を持たない人たち,つまり多様な(普通の)人たちをみんな巻き込んでいかないと解決できない問題(=地球環境問題)を扱っているのに,そういう嗜好を持たない人を排除し,あるいは,半ば強制してしまっている.これはやっかいな問題だ.
音楽のヒップホップとファッションが切り離せないのとは訳が違う.アースデイは扱っている対象が公共的なものだ.ファッションやライフスタイルを規定してしまって参入障壁を思いっきり高めることは,潜在的な賛同者には高い壁になるし,まわりからは「特別な人たち」扱いされかねない.これじゃあ,表参道でショッピングしてる人たちに,自分の問題だと考えてもらえない.
地球環境問題は,原宿駅の反対側にいるひとたちをも巻き込む戦略を考えないと解決できない問題だ.民族衣装やエスニックフードや自分探しの旅を媒介として仲間を作ることはまったく別の話だ.それとも,別の話であることはもう了解済みの事項で改めて感想を持つようなことでもないだろうか?