ハピネス研究の落とし穴

Kahneman氏らはScience誌に載った論文で,世の中が思っている所得と幸福の関係のうちの大部分が幻想であることを指摘している.Kahneman, D., Krueger, A. B., Schkade, D., Schwarz, N. and Stone, A. A. (2006). Would You Be Happier If You Were Richer? A Focusing Illusion. Science 312: 1908-1910.
通常,幸福研究では,"World Values Survey"でも米国の"General Social Survey (GSS)"でも日本の「国民生活選好度調査」でも,「あなたは生活全般に満足していますか」というような問いに対して,「満足している」「まあ満足している」「どちらともいえない」「どちらかといえば不満」「不満」といった3〜5段階で回答してもらう.そうすると,所得水準と幸福度の間には正の相関が見られることが多い.
しかし,これに対して著者らは,そういった調査の多くに,"focusing illusion"(注意を集中させることによる幻想)が見られることを指摘する.例えば,幸福度を聞いてから先月のデート回数を聞いた場合は両者に相関が無かったのに,先月のデート回数を聞いてから幸福度を尋ねると正の相関が見られるとか.このように,自分がどのくらい幸福かなんてものは,身長や電話番号とは違って,尋ねられるまで本人自身よく分かっていない.「生活全般への満足」や「全般的な幸福度合い」なんてものは,尋ねられて初めて構築される概念であって,そういう尋ねられ方をすれば,自分の所得や人間関係や地位なんかを考えて答えてしまう(日常生活ではめったに意識しないのに!).
そこで,そういったバイアスが入らないような幸福度合いの調査方法として提案されているのが,Ecological Momentary Assessment (EMA)やDay Reconstruction Method (DRM)だ.これらは昨日の行動や経験を時間を追って再構築してもらう手法である.そうして得られた「時間で加重平均された幸福」を指標に用いると,所得や婚姻状態などとの相関はいっさいなくなる.たしかにわれわれは大きな出来事があれば,当初はそのことばかり考えて過ごす.しかしそのうちそれは当たり前のことになり,だんだん考えることも減っていき,目先の日常生活が最大の関心事となっていく.それなのに,生活全般への満足度なんてことを聞かれると,やっぱり所得だったり人間関係だったり普段あまり考えずに行動しているようなことを思い出して回答してしまう.
ほかにも所得と幸福の間に想定されている関係が幻想である理由はいくつかある.1つは50年以上前にDuesenberyが提唱した相対所得仮説だ.われわれは,所得の絶対値ではなく,まわりとの比較,つまり相対値に敏感だ.2つ目は適応仮説.人はどんな状態にも適応してしまう.石の上にも3年で,金持ちになっても,貧乏になっても,それなりに暮らせてしまう.最後に著者らが指摘するのは,所得が増えると時間の使い方が変化するという調査結果だ.所得が増えると,緊張やストレスが大きいと評価される仕事や通勤に割かれる時間が増え,リラックスできる受け身のレジャーに割く時間が減る.このことも,金持ちになったら悠々自適な暮らしができるという幻想を支えている.