RCEPの「環境中における新規材料:ナノテクノロジーのケース」:本文

王立環境汚染委員会(Royal Commission on Environmental Pollution: RCEP)は、王室、政府、技官、一般人に対して環境問題に関する助言を行うために、1970年に設立された独立委員会。11月12日に、第12次の報告書が発表された(リンク)。タイトルの「環境中における新規材料:ナノテクノロジーのケース(Novel Materials in the Environment:The case of nanotechnology)」から分かるように、当初はナノテクに限定する意図はなく、1)これまで利用されてこなかった金属や鉱物の産業利用が増えることによる環境排出可能性、2)ナノ粒子やナノチューブの消費者製品や医療・環境保護への適用、の2本立てが予定されていた。しかし、ヒアリング調査の過程で、後者への関心が圧倒的に高いことが分かり、ナノテク中心の報告書となった。そのため、随所にナノに限定されない、新規材料や新規技術一般についての記述もみられる。

毒性影響から法規制の話まで最新の動向まで含めてバランスよくまとまっているので、全体を一読することでナノリスクに関する議論に追いつくことができる。お勧め。要約はあちこちで報道されているので、ダラダラ長いけど、気になった点をマニア向けにメモ(以下はけっして要約ではないことに注意!)。( )内は報告書の段落番号。「→」以下はぼくの感想。

  • ナノ材料の新規性は、物質の特性、特に新しい機能性にあるのであって、そのサイズにあるのではない(1.17)。→報告書を通して何度も強調されている。さらに、数十年後には「ナノテクノロジー」という用語は消えているだろうと予測した専門家が何人もいたそうだ(1.17)。
  • 自然起源のナノ材料も多いが、多くの生物では防御システムが効果的に対応していると思われる。しかし特定の化学反応性を高めた工業ナノ材料は生物の防御能力を上回るかもしれない。その能力は、ナノ医療において、免疫防御反応を起動させることなく、特定の細胞(やその中の部位)に薬剤を届けるために利用されている(3.24)。→DDSの有効性が高まるほど、環境中に放出される工業ナノ材料の危険性が浮き彫りになるってことか。
  • しかし、現時点では、最近出た1報を除いて、工業ナノ材料が(生物個体ではなく)生態系の構造やプロセスあるいは個体群に影響を与えた報告は見当たらなかった(3.26)。→その1報とは、Nature Nanotechnology誌に掲載されたHolbrook et al. (2008)
  • ナノ材料共通の毒性メカニズムとして活性酸素種(ROS)の生成がよく挙げられる。しかし、それがナノ材料曝露の直接影響なのか間接影響かもよく分からないし、複雑な問題を酸化ストレスに帰すことで過度に単純化している可能性に注意すべきだ(3.33)。
  • カーボンナノチューブは非常に難分解性であり、既知の人工物質の中で最も生物分解しにくいものの1つである。そのため、生物蓄積性や、食物連鎖を通じた蓄積、環境残留性が懸念される(3.36)。→生態毒性の文脈での指摘だけど、化審法試験ではどうなんだろうか?
  • in vitro試験は、スクリーニングとしては使えても、ナノ材料の反応の複雑さを考慮すると、動物試験の代替にはなりえない。慢性影響の場合は特に(3.81)。→ただし、長期的には、両者を結ぶ予測毒性学(predictive toxicology)を確立させる(3.115)ことが目標になっている。
  • 動物試験は道徳的、倫理的、政治的に受け入れられない風潮があるが、Poland et al. (2008)での中皮種の懸念が、動物試験の実施の正当化につながる可能性がある(3.82)。→そういう副次的影響があったとは。
  • 英国で現在行われている、"response mode funding"(王立協会の2004年の報告書とそれへの政府の対応、その進捗状況のチェックとさらにそれへの政府の対応…といったやり方)では、体系的で戦略的な研究はムリ。Research Councils(Royal Charterによって設立された政府機関であり、現在7つある。公的資金で研究支援を行う)が、この報告書が指摘した重要研究ニーズに取り組むために、方向性のはっきりした協調的な対応を主導することを強く薦める(3.114)。→英国式は洗練されたやり方だなあと思っていたのでちょっとショック。米国のNNIのような役割を期待するってことかな。
  • REACH対応に加えて、ナノ材料での新たなニーズで毒性試験へのニーズは激増しており、人員不足が顕著。学生や大学院の毒性学コースを緊急に充実させる必要がある。大学や学会は新たな手を打て!(3.117)。ヒト毒性学と生態毒性学の間の連携が驚くほど欠如していることも判明した(3.120)。→日本には大学に毒性学のコースさえないらしいが、大丈夫か?日本にこそこの提言をしたい。
  • 第4章のキーワードは"control dilemma"。つまり、新規技術の初期にはその影響が分からないが、問題が生じたときには社会経済的影響なしには変革できないほど社会に組み込まれてしまっているということ(4.1)。
  • 効果的で信頼できるガバナンスが持つべき少なくとも4つのクオリティとは;1)informed, 2)transparent, 3)prospective, 4)adaptive(4.11)。
  • 2007年11月には日本にもヒアリングに訪れ、経産省の担当者が、現行の規制レジームである化審法が十分にナノ材料を管理できるでしょう、と回答したようだ(4.14)→確かにTSCAと違って申請時に毒性データを要求するものの、1)炭素が対象でない、2)既存物質のナノスケール物質は対象でない、3)重量の閾値がある、なので、「十分に」はさすがに言い過ぎ。
  • 科学哲学者の議論を借りて、縦軸に「決定による帰結の重大さ」、横軸に「不確実性/無知度」をとり、それぞれの高低によって「通常の科学」「専門家への相談」「衝突する世界観」の3つに分割した(4.17)。→Figure 4-1はいろいろ応用できそうな図だ。
  • REACH規制の一番の限界は、1トンという閾値ナノ材料の観点からしたら高すぎる。現行のままでも、"substances subject to restrictions"と"substances of very high concerns"によってナノ材料が捉えられる可能性はある。しかし、ヒトや環境へ受け入れ不可能なリスクを課すという証拠が必要(4.38)。
  • 欧州は、ナノ材料に特化した規制を作るのではなく、既存法規制の修正(増分アプローチ:incremental approach)で行く。本報告書もこれに同意。何度も繰り返しているように、粒子のサイズそれ自体が新規規制の根拠になる合理的な理由はないから。規制当局は、物性や機能性に焦点を当てるべき(4.41〜45)。
  • 欧州委員会は6月23日、SCENIHRに、REACH規制の適用がどのように修正されるべきかに関する科学的な見解を求める諮問を行った(4.51)。欧州委員会はこの先数年以内に閾値を見直すだろう(4.51)。ナノ材料についての新たな低い閾値を決める際には、予防的アプローチが採用されるべきだ(4.51)。
  • 製造や使用のモラトリアムといった提案は理解できないが、選択的モラトリアムは場合によっては予防的手段として適切な場合もあるかもしれない(4.56)。
  • 英国ではイノベーションを促進する組織は1つ(Technology Strategy Board)だが、規制担当組織は多数にまたがっている。しかし、統一する必要はなく、このままでOK。ただし、情報をシェアして連携せよ(4.64)。
  • ガバナンスの手法として、ラべリングには否定的。ナノ材料が統一的な特性を持っているような間違った印象を与えてしまう(4.69)。
  • 本報告書が推薦する手段は、ある種の初期警報システム。具体的には、簡単なチェックリスト。確かにこれは、ナノ材料を1つのグループとしてまとめてしまっており、「サイズじゃなくて機能性だ」という本報告書の主張と矛盾するが、現状の無知を前提とすると、特性に基づく規制へ移行するための情報を収集し、モニターする以外にはないと判断した(4.73)。
  • チェックリストの報告は、効果を発揮するには、強制的でなければならない。Defraによって実施された自発的報告制度(VRS)はうまくいかなかったそこで、われわれはDerraがナノ材料の報告を強制的なものとすることを薦める(4.74)。→とうとうVRSの評価が下された。9月に終了したVRSの「評価」をDefraが先延ばしにしていたのは、このRCEP報告書が発表されるのを待っていたからだと思われる。
  • さらに、ある材料が、ヒトや環境へリスクを課すという合理的な疑いが生じればできるだけ早い段階で規制当局へ情報提供を行う法的義務を企業に課すべき。遵守した会社は、将来、ナノ材料に関する問題が生じた際には刑事責任は免責されるべき(4.76)。
  • 新規技術や新物質に対する効果的なガバナンスは、伝統的な規制を超えて、新しい情報に素早く効果的に対応できる順応的管理システムを築くことが大事(4.84)。リスクのガバナンスから、イノベーションのガバナンスへ(4.85)。
  • ヒアリング調査の際に日本でしばしば、「市民参加はナノテクノロジーの社会受容性を高めるために行っている」との声を聞いたが、確かにそれは本音だろうけど(英国ではそんなこと明示的に口には出さない)、政府は目的をより広く、「ガバナンス、規制、科学技術の利用に自信を持つ」社会を作るとか、言わないと(4.90)→ちょっと笑ってしまった。身も蓋もない言い方をせずに、もっと高尚なレトリックを使え、とわざわざご指摘いただいたわけだ。
  • 本報告書の勧告が反映している3つの優先事項をまとめると、1)機能性:何度も言うけどサイズでひとくくりにするんじゃなくて、2)情報:まずは情報がなくちゃ、3)順応的管理:臨機応変な対応をする準備をしておくこと(5.5)