大気汚染物質の「優先取組物質」にトルエンが挙げられた根拠を探索(追記あり)

中央環境審議会大気環境部会健康リスク総合専門委員会において、優先取組物質の見直しが進んでいる。「優先取組物質」は1996年の大気汚染防止法改正を受けた1998年の答申で22物質が指定されている。そのなかから選ばれた12物質が「有害大気汚染物質の自主管理計画」の対象となった。

今回新しい選定基準によって選定された物質は25物質(pdf)。そのうちの15番目に「トルエン」が挙がっている。今回はどうしてトルエンが選定されたか追っ掛けてみることにした。

まず、選定基準は大きく分けて2つある。1つは何らかの基準濃度を超えて計測されているもの、もう1つは化管法によるもの。前者はさらに2つに分かれ、日本の大気環境目標(環境基準値または指針値)の1/10の値と、諸外国の目標値(の幾何平均)の1/10の値である。後者には次の5つが含まれる。1)EU の目標値、2)イギリスの大気環境目標、3)オーストラリアの大気環境監視基準、4)ニュージーランドの大気環境指針値、5)WHO 欧州地域事務局のガイドライン値。どうしてこの5つなのかと言うと、「大気環境保全政策の中で利用されている値」に絞った結果らしい(第10回の参考資料2-2)。

トルエンの選定理由は「オーストラリアの大気環境基準の10 分の1以上の濃度で検出されているため」とのことだ(第11回の資料4-2)。幾何平均値じゃないのは、オーストラリアにしか数値がなかったからだろう。逆に言うと、トルエンを優先取組物質に挙げるためにオーストラリアの大気環境監視基準を持ってきたのかもしれない(第9回にはオーストラリアへの言及はない)。トルエンについて、オーストラリアの大気環境基準値(大気環境監視基準)があることは知らなかったが、そのソースは、第10回の参考資料2-2に「National Environment Protection (Air Toxics) Measure に掲げるMonitoring investigation level」と書かれている。「監視調査レベル(Monitoring investigation level)」の数字を探してみると、ここ(pdfファイル)のTable 2の数字だと判明した。24時間値で1ppm(=約3800µg/m3)、年平均値で0.1ppm(=約380µg/m3)と書かれている(※その根拠までは分からない)。

次に、トルエンの国内モニタリングデータの最大値は「110µg/m3」と書かれている(第11回の資料4-2)。確かにこの値はオーストラリアの「監視調査レベル」の年平均値の「10分の1以上」ではある。ただこの「110µg/m3」のソースが不明。これがホントに年平均値だとしたら相当の高濃度である。「採用する曝露データ」という欄には、「有害大気汚染物質モニタリング調査結果及び化学物質環境実態調査結果(個別の測定値)のうち最大値を採用する。ただし、化学物質環境実態調査の値は、それ以外のモニタリングデータがない場合のみ採用する。」と書かれている。前者はトルエンは対象物質ではない。後者についてはトルエンが対象物質となったのは平成11年(最大値85µg/m3)のみである。また、この濃度は、1〜3日間の平均値であって「年平均値」ではない。だとしたら、比較すべきはオーストラリアの「24時間平均値=約3800µg/m3」の方だ。日本の年平均値データとしては、例えば、毎年月1回トルエン濃度を計測している東京都の平成20年度のトルエン年平均値の最大値は17µg/m3で、平成19年は19µg/m3(リンク)である。これは「110µg/m3」よりもずっと低い。ホントにトルエンは優先取組物質に入る資格があるのだろうか?今日のところはここまで。何か分かったら追加メモの予定。

追記(さらに修正7/21)

モニタリング値の最大値「110μg/m3」の出所が判明。第10回審議会の参考資料2-1の表中(p.18)のトルエンの欄には、「大気中濃度(最大値)」として「1.1E+02」、すなわち「110μg/m3」と書かれており、年次は「平成20年度」となっている。「有害大気汚染物質モニタリング調査」はトルエンは対象外だと書いたが、実はこの中に「優先取組物質以外の有害大気汚染物質」という欄がある。そこの平成20年(pdf)にはトルエンが測定されており、「110µg/m3」は、滋賀県大津市南小松測定所(環境省)のデータ(2.2〜110µg/m3)の上限値のようだ(年平均値は16µg/m3)。測定は月1回、年間12回測定した中の最大値なので、おそらく「110µg/m3」という数字は24時間平均値だろう。となれば、比較すべきオーストラリア大気環境基準値は、「年平均値で0.1ppm(=約380µg/m3)」ではなくて、「24時間値で1ppm(=約3800µg/m3)」となる。10分の1にははるかに及ばない約100分の3となる。この数字からでは、トルエンを「優先取組物質」に挙げる根拠にはならない。
もっとも、平成20年度の年平均値の最大値は、埼玉県戸田市「戸田美女木自排局」の「41μg/m3」なので、オーストラリア大気環境基準値の「年平均値で0.1ppm(=約380µg/m3)」の10分の1をかろうじて超えるので、こちらの数字を採用して「優先取組物質」に入れるというロジックは成立する。
考えてみると、そもそも、「諸外国の大気目標値」を、その内容を吟味せずに、「大気環境保全政策の中で利用されている値」というだけで5つに絞る意味もよく分からない。だって、日本の大気環境基準値ってまさに「大気環境保全政策の中で利用されている値」だけど、30年前に決められた値のまま放置されている値なわけで、これと、5年ごとに最新の研究論文の知見を集めて更新作業が続けられている米国の大気環境基準値(NAAQS)を同列に扱うわけにはいかない。トルエンが優先取組物質になること自体に反対してるわけではないが(必要ないような気はするけど)、そのロジックに難がありすぎて、結論ありきっぽく見えてしまうなあ。
さらに言うと、個別物質について対象を際限なく広げていくよりも、そろそろ、欧州でも検討が始まっているように(pdf)、似た有害性発現メカニズムを持つ化学物質の複数暴露(相乗効果ではなくて)の問題に進んだ方がよいのではないか。トルエンだったら、キシレンとエチルベンゼンとの複数暴露による中枢神経影響だとか。