Society for Risk Analysis 2006 Annual Meeting(Baltimore, Maryland)

☆全体の印象☆
最近は公的機関がどんどん情報をネットに公開するようになり,海外で行われる会議の資料や映像さえネットで見れるようになってきた.今回感じたのは,あまり情報がない中でのナノテクノロジーリスク管理の議論を聞いても新しい情報というものはほとんどないということ.となると,学会参加の意義は,1)そのテーマに対する雰囲気や熱気のようなもの,2)研究者との対面でのディスカッション,という感じか.「最先端の情報を収集する」というものはもう目的たりえないかもしれない.逆に,日本でネット等を使ってできる情報収集が楽になればなるほど,情報収集をするためだけ海外に行くというのはとても費用対効果が悪い作業になるだろう.とはいえ,今回のSRAは押さえておきたいトピックのセッションがたくさんあって収穫が多かった(「ナノテクのリスク管理」「OMBのリスク評価ガイドライン案」「リスク認知と進化心理学」など).「ナノテクのリスク管理」については仕事として書いたのでそれ以外の部分について以下に.

☆プレナリーセッションでのSlovic氏
今回一番感銘を受けたのがSlovic氏の1日目の最初の講演.リスク認知研究で一世を風靡したSlovic氏は,(失礼にも)過去の遺産で食っている人という間違った印象を持っていたが,果敢に新しいジャンルに挑戦するまじめなおじいちゃんであることが判明し,一気に大ファンになってしまった.ポスターセッションのときに捉まえて,リスク認知研究には進化心理学による説明が必要ですよね?とか一方的に熱く語ってしまった(恥ずかしい).他の講演者がジョーク(あまりおもしろくない)を交えて笑いをとりながら話す中で,生真面目に正義感と情熱をもって話す姿勢がひときわ目立っていた.講演のタイトルは,"If I Look at the Mass I Will Never Act: Psychic Numbing and Genocide"(集団を見るなら私はけっして行動しないだろう:精神的無感覚と集団虐殺).前半はマザー・テレサの言葉の引用.内容は,スーダンダルフールの大量虐殺の話について,米国政府やメディアの姿勢を批判し,人々は統計的数字には鈍感(「年間3万人が死亡」とか)だけど,具体的なヒト(「○○ちゃんを救え」)とかには敏感というバイアスを指摘,これを,心理学から,実験を交えて説明してくという話だった.最後に進化心理学な説明もちょこっと出てくる.この講演内容の原稿は,Decision Researchの一番うえのDarful(ダルフール)をクリックするとpdfで読める.

☆1日目(M1-H)リスク,法,社会的構築
M1-H4のホワイト氏の報告「環境汚染死亡リスク評価に関して要求される証拠の対比:国連の補償委員会vs.米国EPAと裁判所」
イラククウェート侵攻(1990年)と湾岸戦争(1991年)において発生した浮遊粒子状物質(PM)による大気汚染による死亡影響に関して,サウジアラビア王国が55億ドルの補償を国連の補償委員会(UNCC)を通してイラクに請求した件.PM曝露の原因として,油田破壊,ディーゼルエンジンの使用,砂漠での破壊活動が挙げられている.定量的なリスク評価の結果,1,397人の過剰死亡が推計された.しかし,補償委員会は2005年6月にこの請求を証拠不十分として却下した(これに対する研究チームの不満はここで読める).サウジアラビア王国の人々のVSL(確率的生命価値)は所得比0.8を適用して400万ドルとされた.1,397人×400万ドルで55億ドルとなった.このリスク評価はJohns Hopkins Universityなどのチーム(Saudi Arabia Gulf War Health Claimes Project Mortality Risk Assessment)が行ったそうだ.研究の経緯はよく分からないが,サウジアラビア王室が研究資金を出したようだ.この却下と対比されているのが米国の環境行政で,米国では疫学調査に基づき、EPAPM2.5の環境基準値を定め,裁判所もその有効性を認めている.

☆1日目(M2-D) マスメディアとリスクコミュニケーション
M2-D4 フリードマン氏(米国リーハイ大学)の報告「ナノテクノロジーリスクと規制問題に関するマスメディア報道」
米国と英国の主要紙の2000〜2005年の記事からナノテクノロジーのリスクについて言及した記事166本を対象に,内容分析を行った.項目としては,言及されているリスクの種類,健康リスクの種類,規制に言及しているかどうか,どの分野の規制か,政府機関の名前などが調査された.会場から,ベネフィットについての記事も集めて比較する必要があるのでは?という指摘があったがそのとおりだと思う.やるなら全部の記事を対象にしたいのだけど,そもそもマスメディア調査の異議がまだよく分からないなあ.やるとなると相当な時間と労力が必要だから、慎重に行こうと思う.

☆3日目(W1) OMBの提案するrisk assessment bulletinへの経済学者の対応
W1-E1 ウィリアム氏(FDA)の報告「OMBのrisk assessment bulletinを改善する:経済学からの展望」
彼の言っていることはぼくが以前から言っていることと趣旨がほとんど同じだった.要するに, "central risk estimate"を使わないとリスクの比較や経済分析はできないということ.うんうんと頷きながら聞いた.
W1-E2 Yoe氏(College of Notre Dome of Maryland)の報告「より多くのより複雑な費用便益分析」
OMBの提案文書にはリスク評価プロセスへの経済学者の関与が明記されていないが,経済学者は積極的にリスク評価プロセスに関わっていくべきだと主張.そのとおりだとこれも納得.
W1-E3 Belzer氏(Regulatory Checkbook)の報告「OMBの提案しているリスク評価ガイダンス:バイアスを除去する条項と中央値を推計する条項をほぐす」
彼は元OMBのスタッフで現在Regulatory CheckbookというNPOを主催しており,Neutral Sourceというブログを書いている.彼の表現は"central tendency estimates".訳しづらい.通常の費用便益分析では,リスクの上限値が使用されるので,便益が過大評価になりがち,これに対して,費用は厳密には「得られなかった便益=機会費用」となるはずが,近似的に支出額で測られているために過大評価になりがち,との指摘はもっとも.このあたりも今後の講演等のネタに使おう.

☆3日目(W2,W3)リスクコミュニケーションのための戦略:進化,証拠,経験
最終日の午後は,一番楽しみにしていた「リスクコミュニケーションのための戦略:進化,証拠,経験 1 &2」である.これは2006年5月にニューヨーク州のMontaukというところで行われた同タイトルのシンポジウムの結果報告を兼ねたセッションだった.当時の報告内容の一部はすでにpdfで読めるようになっている.また,参考資料も豊富で基本文献はひととおり網羅している.Proceedingsが,National Academiesから出版されると聞いたように思う(まだ確認できない.聞き間違いかもしれない).ただ,今回のSRAでの発表の半分以上はこれまでのような心理学の話で,他方,進化心理学の話をする人はこれまでの心理学とのつながりが希薄なように感じた.会場からの質問や議論になるともうすっかり普通のリスクコミュニケーションの話になってしまい,まだまだリスク論を進化心理学で基礎付けるという考え方は根付いていないようだし,その重要性に気づいている人も少なそうだ.心理学(認知心理学)にしても,経済学(行動経済学も)にしても,意思決定を扱う学問であるのに,結局扱っているのは目に見える「行動の結果」に過ぎない.つまり,表面に現れた行動を追っているだけで,そこに至る複雑な意思決定プロセスについては仮説を立てるにとどまっている(そのため,根拠なしに適当な話を書き散らす「心理学者」がたくさん出てくる).当然,意思決定を行うという行為には生物学的なプロセスが働いている.このメカニズムは神経科学の発達によってある程度分かってきた.このような知見を用いて,心理学では認知心理学,経済学では神経経済学という分野が発展中だ.しかし,それが分かったとしても,さらにその究極要因(=そもそもどうしてそうなったのか)は進化と適応の概念を持ち出さないと説明できない.ここで進化論を取り入れた進化心理学がようやく出てくる(ちなみに「進化経済学」というジャンルがあるが進化論あるいは生物学の枠組みを比喩的に援用しているだけで,進化論に基礎付けられた経済学という意味ではまったくないことに注意).人々の行動の「なぜ」に究極的に答えるにはここまでさかのぼらなければ本当に答えたことにならない.Slovicも初日のスピーチで,人が遠い国での大量虐殺に無反応である理由をいろいろ考えるうちにやはり脳の認知プロセスに辿り着き,その究極原因としてはやはり人間の進化における適応プロセスの結果であることを示唆した.シンポジウムと今回のセッションの中心人物は,Applied BiomathematicsのScott Ferson氏とW. Troy Tucker氏である.Tucker氏のプレゼン内容は彼のページにpdfファイルが置いてある.タイトルは「進化した利他主義,強い互恵主義,およびリスクの認知」.人々は長期間にわたる狩猟採集のライフスタイルの中で,6種類のリスクに適応する形で進化してきたという.それは,1)事故,2)生存の失敗(飢餓とかのことだと思う), 3)疾病,4)集団間の競争(戦争),5)協力の失敗(ただ乗り),6)paternity(父親であること?)(※ここがちょっと分からない.要確認だ).現代人の本性もこれらに根ざしているため,リスクコミュニケーションはこれらに沿う形で行うことが望ましいということになる.このあたりの詳細については,進化心理学がリスク論をどこまで基礎付けることができるかという観点から近いうちにまとめてみようと思う.