Andrew Maynard氏のブログ追っかけ

欠かさずチェックしているMaynardさんのブログ。しばらく間が空いてしまったので1月前半分をチェック。

1月4日、ナノテクR&Dに70億ドルも投資してきたけど、それに見合う成果を示せるだろうか?心配だなあ(意訳)

この日は、2007年12月に発表された"The National Nanotechnology Initiative: Strategic Plan December 2007"への失望がテーマ。"this report revels in bureaucratic obfuscation"(この報告書は官僚がわざと分かりにくくして楽しんでいる−意訳)なんてことも書かれいている。確かに、多数の省庁が集まってそれぞれが文書を出してきて、あまり強くない連携部門がそれらをまとめる作業をする…なかなか戦略的でメリハリのついた優先順位なんて付けられないだろうなあと少し同情。Maynard氏は、こんな調子で多額の投資に見合った成果を出すことができるのかとても心配しているようだ。

1月11日、ナノテクは病気の原因にもなり治療にもなり、派生的な製品も生み出す、やっぱり面白い!(意訳)

まずTelegraph紙の記事「アルツハイマー病に関連する「ナノ糸」たんぱく質はスーパーファイバーだ」を引用(これはScience誌に載ったTuomas P. Knowles氏の論文を紹介したもの)し、これとSarah Linse氏がPNAS誌に書いた論文とからめつつ、ナノ材料は病気の原因にもなりうるし、治療にもなりうることを紹介し、その"messiness"(ごちゃごちゃしてややこしいところ)こそがナノテクの魅力なんだと力説。

1月12日ナノテクノロジーは神に挑戦状をたたきつけてる?そんなことはない(全く意訳)

ナノテクノロジーと宗教の関係、特に、生命の単位であるDNAや分子レベルを操作することは、"playing God"(神の領域を弄ぶ)ことにならないか?と問われることは多い。でもこの問いの立て方は合ってる?Maynard氏の回答はこうだ;たぶん宗教的な議論は、ナノテクノロジーが神の存在や権威に挑戦しようとしてるかどうかではなくて、われわれが新たに見つけたナノレベルの知識が倫理的に正しく用いられているかどうかであるべきだ。つまり、重要なテーマは、ナノテクと宗教(神)ではなくて、ナノテクと倫理なのだ、と。