「生命の価値」はやっぱりまずいと思うというパブコメを提出

国土交通省の「公共事業評価の費用便益分析に関する技術指針」改訂案に意見募集していたので、メールで以下のような意見を出してみた。

第2章 第5節 第2項(2)人的損失額、について意見を述べます。
「支払意思額による生命の価値」という言い方は、不必要な誤解を招くといけないので、「生命」の前に「統計的」あるいは「確率的」を必ずつけるべきだと思います。これは、微少なリスク削減に対する支払意思額を、その微少なリスク削減量で割って、あくまでも便宜的に1人あたりに換算した値だからです。
問題はこれまで使われていた3000万円程度の値が(国際的に見て)低すぎることではなく、方法論が適当でなかったことです。例えば、これまでの値は逸失利益中心なので、「死亡の場合」と「寝たきりの場合」で値があまり変わらないことになり(すなわち、死亡すること自体を評価できていない)、どうみても方法論に問題がありました。
そもそも「生命の価値」自体を金銭換算することができないという事実が出発点でした。そこで、金銭換算可能な、(誰が救われるか特定されない)事前の観点からの「微少なリスク削減」を用いたわけです。今回また「生命の価値」と言ってしまうと、「生命に値段を付けた」という誤解を招きます。また、単に、「生命の値段が上がった」と受け止められるだけでは意味がないと思います。根本的に発想が違う(むしろ他の要素と整合性がとれている)という点を強調したほうが良いです。そういう観点からはそもそも検討の対象を「人命」ではなく「死亡リスク」とすべきだったと考えます。
というわけで、少なくとも、支払意思額による「統計的生命」の価値、と呼ぶことが必要だと思います。便宜上1人あたりに換算したという意味で、「統計的」あるいは「確率的」を「生命」につけたほうがよいと思います。