SRAの野望:2nd World Congress on Risk参加報告(その1)

4年に一度の世界大会の第二回が2008年6月8日から11日までメキシコのグアダラハラで開催された。第一回にはあまり興味がわかず参加なかったけど、ベルギーのブリュッセルで開催された。Society for Risk Analysis (SRA)は本部と位置付けられる北米に加えて、欧州支部、日本支部、オーストラリア&ニュージーランド支部からなる。今回のメキシコでの開催は、ラテンアメリカ支部の発足に合わせて開催されたもので、開催場所の選択にはマーケティング的な意味合いが強い。SRA会長のJonathan Wiener氏の最終日のあいさつの中の言葉、"World needs risk analysis and we need world!"が象徴的だ。世界中へSRA支部を拡大する方針を持っているようで、次回はインドあたりでの開催をもくろんでいるらしい。南アジア支部でも作るのだろうか?
今回参加したのは、ぼくもメンバーであるSRA内の専門家グループ "Emerging Nanoscale Materials Specialty Group"の議長をやっているJo Anne Shatkinさんから、ナノ材料をめぐる国際的な動向についてのセッションのスピーカーを依頼されたのがきっかけだった。誘われたのが1年近く前だったので安請け合いした。会議は、午前は8時半から全体集会があり、2名のスピーカーが講演を行い、30分の休憩兼ポスターセッションを挟んで、3つの分科会に分かれる。ぼくがスピーカーとして参加したのはこの分科会にあたる。お昼を挟んで、午後は6〜7ヶ所で同時に開催される1時間半のミニシンポジウムが2回。そのあとはまたポスターセッションとなる。口頭発表はすべて企画セッションで、自由発表はポスターのみだった。

フォーキャスト:2nd World Congress on Risk参加報告(その2)

6月10日の全体集会は「セキュリティ、ガバナンス、そして新興の脅威の管理(Security, governance, and the management of emerging threats)」として、バイオセイフティとナノテクノロジーの話があった。ナノテクノロジーの話をしたのは、ライス大学のVicki Colvinさん。面白いと思った点はまず、ナノ材料の安全対策として、通常の排出&曝露抑制対策と並べて、"Safety by design"(設計によって安全にする)を挙げている点だ。ナノ材料は、通常の化学物質と違って、ちょっとした製法やコーティングの違いによって毒性が大きく異なる。そのため、物質自体の性質を変えるというのも対策たりうるのだ。確かにライス大学はそういう研究をけっこうやっている。ただこういうのは大量生産とのトレードオフが生じたりしやすいだろう。もう1つ面白かった点は、「アセスメント(assessment)」という言葉をもう旧来の方法(old way)に分類し、これに対して新しい方法(new way)は「フォーキャスト(forecast)」だと主張している点だ。日本語では「評価から予測へ」となるのだがちょっと分かりにくい。彼女が言いたいのは、できあがった(場合によっては使い始めた)物質の性質を調べることがアセスメントで、例えばまだ合成前の段階でその毒性や物理化学的特性を予測するのがフォーキャストなんだと思う。フォーキャストの特徴は、様々な多数の材料、様々な用途、潜在的な新しいハザードで、そのための技術は、予測的モデリング(predictive modelling)とリスク予測(risk forecasting)だという。思想的には、われわれが言うところの、シングルリスクワールドからマルチプルリスクワールドへ、と似ているが、予測的な側面をもっと強調した感じだ。

2つのQと3つのS:2nd World Congress on Risk参加報告その3

Maynardさんのプレゼンタイトルは"Towards "safe" nanotechnologies―where do we want to be, and how will we get there?"(「安全な」ナノテクノロジーに向けて−どこに行きたい?そしてどうやってそこに辿りつける?)だった。ツカミは、2つの質問。実は昨年秋にミシガン大学であったシンポジウム(彼のプレゼンのタイトルは"Developing socially acceptable nanotechnologies"でvideoも見れる)ではツカミは3つの質問だった。
2007年秋の3つのQは;

  1. Whay nanotech?
  2. Why should be worried about?
  3. What can we do?

そして今回の2つのQは;

  1. Where do we want to go?
  2. What is slowing us down?

このパターンはMaynardさんのお好みらしい。どっかで使ってみようかな。
これに加えて、ナノテクの特徴を3つのSで示すというネタも続いた。3つのSはすでにラジオ番組で披露したものだ。Maynardさんが"Smallness", "Strangeness", "Sophistication"と言ったあとで、電話参加のVicki Colvinは、"Sophistication"には同意できなかったようで代わりに"Important"と言った。今回は3つのSを映像で見ることができてよく分かった。"Smallness"、つまり通常のサイズだと入らないところにも入っていくことを分かりやすく説明するために、他のクルマと違う向きにコンパクトに路駐するSmartの写真が使われていた。うまい!
もう1つMaynardさんが強調してたことは、ブログにも書かれていた「デカップリング」のことだ。彼もメンバーである"Project on Emerging Nanotechnologies"ではきちんと複数形になっているし、講演のタイトルもいつも複数形だ。毒性だっと曝露可能性だって、ナノ材料ごとに違うのに、単数形扱いしてしまうと、ごく最近もあったように「遺伝子操作され癌になりやすくなったマウスの腹腔に多層カーボンナノチューブを投入したら中皮腫が見られた」という話から、「ナノ材料は危ない」に直結してしまう。Poland et al.のように長さが重要なのだとしたら、それを管理すればよいし、ライス大学が研究しているように、デザインによって毒性の強さをコントロールすればよい。「ナノテクノロジー」と言ってひと括りにすることは、当初知名度を高めることには役に立ったが、リスクの話になるとその弊害が目立つようになる。

エマージングリスク:2nd World Congress on Risk参加報告(その4)

今回の会議でとても耳に残ったフレーズは"emerging risks"だ。言い換えると、"new and/or increasing risks"であり、単に「新しい」というだけでなく、「リスクが増してきているぞ」という感じを伴う。日本語にすると「新興リスク」といったところか。ぼくがスピーカーとして参加したセッションの名前も「新興リスク源(例えばナノスケール材料)(Emerging sources of risk (e.g. nano-scale materials))」というものだった。ぼくの話は日本における工業ナノ材料をめぐるリスクガバナンスについてで、4年間続けて毎年春に実施した一般人に対するアンケート調査結果をイントロに、とても高くてかつポジティブな一般人の認知、2008年に入って慌ただしくなった行政の動向、予防原則的な後ろ向きの対応を始めた産業界の様子を解説して、ナノ材料潜在的な便益を享受できるための鍵は、新興リスクに対して企業がどれだけ積極的かつ戦略的な態度をとれるかだ!という話をした。つまり、公的機関から「安全」というお墨付きをもらえるのをただ待つのではなく、自らリスク評価を実施し、それにもとづく対策と情報公開を実施し、ビジネスチャンスを拡大していくという戦略的なアプローチが必要になっているという話だ。最後に、企業による積極的なリスク対応はビジネス上のモラルの問題なんかじゃなくてビジネス戦略の問題だ、と締めくくった。
そうしたら奇しくも欧州ではそうした試みが大規模に実施されようとしていることが分かった。ミニシンポジウムの1つに「新興およびイノベーション関連リスクの統合管理(Integrated management of emerging and innovation related risks)」があり、ここでは欧州で今年から始まった"iNTeg-Risk"プロジェクトが紹介されており、このプロジェクトの中心を担うのが、欧州の5つの既存組織(ハンガリーBZF、フランスのINERIS、ドイツのSteinbeis、ベルギーのTechnologia、ドイツのUniversity of Stuttgart)によって2007年から正式に運営が始まったEU-VRi(European Virtual Institute for Integrated Risk Management)だ。日本語にすると「統合リスク管理のための欧州仮想研究所」となる。この組織の中心にいるのが前述したJovanovic氏とSalvi氏だ(彼らとは「ラ・テキーラ」にディナーを食べに行った)。Stuttgart大学のRenn氏が会長(President)になっている。問題意識は、EUでは産業政策と安全政策が衝突した場合の「新興リスク」の管理方法が欠如しているという点にある。もちろんこれはEUに限った話ではないんだけど、欧州の人々は特にリスク回避的なためにより矛盾が先鋭化するという認識があるようだ。予防原則を前面に打ち出しつつも、きちんとこうしたアプローチも同時に実行しているところが欧州のしたたかなところだ。ちなみにEU-VRiはiNTeg-Riskを含めて5つの大きなプロジェクト(iNTeg-RiskAlfa-BirdF-SevesoETPISDE-TPIS)を実施中である。
iNTeg-Riskプロジェクトは、正式名称を"Early Recognition, Monitoring and Integrated Management of Emerging, New Technology Related Risks"(新興の新規技術関連リスクの早期認識・モニタリング・統合管理)という。略称はかなり強引だけど。2008年5月から2013年2月までおよそ5年間のプロジェクトで、予算規模は1,920万ユーロ、そのうち1,370万ユーロがEU負担分である。このプロジェクトの特徴は、数多くの企業が競争を通じて参加している点である。聞いたところ、資金の半分をプロジェクト(EU)が負担し残り半分を参加企業が負担するという形になっているという。共通のテンプレートに従って17のケーススタディが実施される(具体的に何だったか聞きそびれたのであとでメールで質問しておこう)。プロジェクトの目的には「新興リスクに関して,高レベルのEU安全基準を達成しつつ、EUの先端技術が市場に出ていくまでの時間を短縮すること」と明言されている。時間短縮は、プロジェクト終了までに10%、2015年までに20%という数値目標も置かれている。このように、このプロジェクトは産業政策的な側面が強い。しかも、これからの市場競争に勝つためには潜在的なリスクにあらかじめ手を打っておく、つまり企業がイノベーションの結果を収益に素早く結びつけるには、自ら先んじてリスク評価を実施しリスク管理を行うことが必須であるというメッセージになっている。このプロジェクトのもう1つの特徴は、工業ナノ材料新型インフルエンザなどの個別の新興リスクに対して個別のアプローチで対処するのではなく、それらをすべて「新興リスク」の1つととらえ、新興リスク全体に共通に適用できるアプローチを探っている点にある。このことは、新興リスクの"one-stop shop"(すべてが手に入る店)を目指すというふうに描かれている。これから新たに出てくるものを新興リスクと呼ぶからには、事前にはどんなリスクが出てくるか分からないので、個別アプローチは不可能であり、普遍的なアプローチは必須だろう。方法論の開発は5つのサブプロジェクト(SP)で行われる。SP1は新興リスクの整理である。A)新規技術(例:二酸化炭素の貯留)、B)新規材料や製品(例:ナノ材料)、C)新規生産技術(例:重要な仕事のアウトソーシング)、D)新興リスク関連の政策、に区分されている。SP2は先に紹介した"ERMF"で、SP3はその適用と検証、SP4は産業界、中小企業、R&DおよびEU市民にとっての"One-Stop Shop"であり、これには「社会への実装」という日本語が一番近いだろう。予防原則的な空気に押されて、企業が新興リスクに対して委縮してしまいがちな現在の日本の状況を打開するために非常に参考になるプロジェクトであり組織である。欧州=予防原則というだけの先入観で考えていたら大間違いで、欧州はちゃんと市場競争に勝ち抜くための戦略を持っているのだ。