英国上院科学技術委員会の報告書「ナノテクノロジーズと食品」メモ(その1)

1月8日に公開された報告書の気になる部分をメモ。英語タイトルは、"Nanotechnologies and Food"であり、ナノテクは複数形であることに注意。日本語にすると区別がつかなくなるのが残念なので「ナノテクノロジーズ」としてみた。かなりはっきりした勧告を行っている。

第1章は「イントロ」

報告書では、食品の成分だけでなく、農薬や肥料、食品製造過程、食品包装に使用されるナノ粒子も対象。ただし、環境影響や、食品以外の用途から経口摂取につながる可能性は対象外。

第2章「ナノサイエンスとナノテクノロジーズ」

ナノザイズの構造を持つもの全体をとりあえずナノマテリアルとする。食品にもとから含まれていないナノスケール物質と、もとからある食品を意図的にナノスケールにしたものを対象とし、食品にもとから含まれているナノスケール物質や、伝統的な食品製造過程で形成されているものはこのカテゴリーに含めないと整理。

第3章「食品部門におけるナノテクノロジーズ」

現在のところナノテク適用事例は、食品とサプリメント食品添加物、食品包装、農業ともにまだ少ないようだ。これからありそうな適用例としては以下のようなものが挙げられている。

  • 食品とサプリメント:新規な風味や食感、塩分・脂肪・糖分を減らした/ビタミンや栄養成分を増やした健康食品。
  • 食品製造:抗菌や固着防止。
  • 食品包装:包装を軽く薄くすることで廃棄物削減(複雑さを増すことで廃棄物増加という予測も)、ガスや湿気に対するバリア機能。
  • 農業:農薬の量と頻度を削減できることで環境負荷低下。

つまり、社会的なアウトカムとしては、ヘルスケアコストの削減や環境負荷の低下ということになる。Cientifica (2007)によると、世界で最大400社がナノテク応用研究に取り組み中。英国では1999年にKraft foods社がナノテクラボを創設。英国では食品ナノテクの基礎研究はトップレベルだけど応用はまだまだとのこと。欧州ではオランダ。5年で4000万ユーロの研究プロジェクトあり。

第4章「健康と安全」

消化器官に入ったナノマテリアルの有害性に関連しそうな6個の特性についての解説。サイズ、溶解性と残留性、化学的&触媒的反応性、形状、抗菌作用、凝集。

  • サイズ:ナノ粒子は腸上皮細胞の細胞膜を通過し、リンパ管や血管(=脳を含む体のすべての場所)や細胞内のすべての場所(核を含む)にフリーな粒子として移行する可能性がある。ただし肺以外の場所への移行の証拠はまだない。
  • 溶解性と残留性:移行したナノマテリアルが細胞や組織中に蓄積するという懸念。不溶性で消化困難で分解しないナノ粒子(すなわち無機金属酸化物や金属)が高リスク。
  • 化学的&触媒的反応性:比表面積が大きいため反応性が高い。通常の細胞プロセスに干渉し「炎症反応と酸化的障害」を引き起こす。さらには、腸内の細菌毒素とくっついて細胞や血流への運び屋になる(「トロイの木馬効果」)という懸念も。
  • 形状:高アスペクト比ナノ粒子(HARN)の例。この件は現段階では、肺や中皮の話。
  • 抗菌作用:銀ナノ粒子など。摂取されると、腸の天然のフローラに有害な影響を与えるかもしれない。
  • 凝集:物理的力による凝集と化学的力による凝集。それと同時に、分散(disaggregate)の可能性もあるのでややこしい。

続いて知識ギャップ。7分野が挙げられた。

  • キャラクタリゼーション、検出、計測:天然のナノスケール構造を持つ食品は多いので相当難しい。
  • 消化器内でのナノマテリアルの動態:自然起源のナノマテリアルには以前から曝露し続けてきたのでそれ自体は新しい現象ではない。また、吸入曝露したナノ粒子の多くは消化管に移行している。しかし、消化管内での動態について情報はほとんど無い。
  • ヒトの胎児への影響:情報は少ないが、胎盤を通るのではないかという指摘もある。
  • 食品特有の研究:食品成分とナノ粒子の相互作用はまだあんまりない。
  • トキシコキネティクス:消化管から吸収された生分解されないナノ粒子の場合、白血球が脾臓・肝臓・骨髄に運ぶ。そうしたところに蓄積するかさらに脳や腎臓に移行する。
  • ナノマテリアルの慢性影響:長期的には不溶性のナノ粒子は二次的な標的臓器に蓄積するかも。ただし情報はほとんどない。
  • 妥当性検証済みの有害性試験:BSIなんかは新規な有害性試験の標準化を主張しているが、ナノ材料の多様性を考えると限界があるという指摘もある。

知識ギャップを埋めるための努力について、

  • 英国内の努力:2004年以来、学際的なセンターの設立が提言されているが、政府は一貫してNRCG(省庁横断グループ)で大丈夫と主張。
  • リサーチカウンシルの研究資金助成メカニズム:健康安全に関する研究の進捗が遅い理由として、申請ベースの研究助成(response mode funding)が中心で、戦略的なトップダウンによる研究助成(directed programmes)をやってこなかったため。そのため専門家の多い吸入系の研究ばかりになり、人材が少ない経口系の研究が手薄になった。
  • EHS研究への資金:計算しようとしたがソースによって値がバラバラでよく分からないとのこと。
  • 毒性学コミュニティのキャパシティ:RCEP(2008)でも強調されていたことだけど、そもそも毒性学者が少ないぞという話。これに関しては昨年Defraから「毒性学者と生態毒性学者についての英国のスキルベースの評価」という報告書が出ている(※これの日本版も誰か作ってほしい!)。
  • 国際的協力OECDは閉鎖的で透明性に欠けているとしながらも、リスク評価のための試験方法の開発研究の協調においては中心的役割だと認識。EU内で情報交換をしっかりやって重複を避けようという勧告。
  1. 産業界の役割:「FSAは、適切なリスク評価手続きについての情報提供と適切な研究の優先順位付けの支援のために、食品産業とコラボして、研究中のナノマテリアル情報に関する非公開のデータベースを作成すべき」と勧告し、自発的スキームのこれまでの失敗を踏まえて「強制的なものとすべき」とした。

欧州委員会がリスク評価アプローチの改善を検討開始

欧州委員会の3つの委員会(SCCS, SCHER and SCENIHR)が共同で、リスク評価アプローチの改善に向けたワーキンググループを立ち上げた(pdf)。リスク管理側のニーズをうまく汲み取ることと、リスク問題についての効果的なリスクコミュニケーションを実施するため。
ここで書かれている問題意識がずっとぼくが考えていることとほとんど一緒なのでざっくり訳して引用してみた。さあ、どんな回答が出てくるんだろう?報告書は2011年6月に発表予定。

健康および環境リスク評価への現行アプローチでは、リスク管理者や政策決定者が目指す保全目標とは直接関係がないようなエンドポイント、生体応答、その他のテクニカルなパラメータの検討に基づいた、様々なテクニカルなリスク表現が使用される。


他方で、(リスク評価者に)問題を提示する際に、リスク管理者が適切なフレームワークをいつも提供するわけではない。特に、リスク評価者がアウトプットを(リスク管理者が)簡単に利用できて、誤解の余地がないような形で手渡すことができるように政策目標を特定するとは限らない。


その結果、リスク評価報告書で使用される表現を解釈することは、リスク管理者や一般人にとって難しいものとなり、誤解や歪みのもととなり、コミュニケートしづらい。


そのうえ、リスク評価報告書は、リスク、および、リスクとベネフィットを適切な指標で表現することが可能な場合でも、対象とする特定のケースで生じるリスクベネフィットのバランスの問題に、直接的、体系的、透明な形で言及されることはめったにない。


最後に、リスク評価手法・手続き・結果の表現が、リスク管理者や政策決定者が意思決定に必要な情報である、費用便益、あるいはより一般的には多基準(マルチクライテリア)評価と連携することはめったにない。


このプロセスでの重要な課題は、リスク評価やリスク管理プロセスにおいてパラメータを比較可能で意味のあるやり方で重み付けることができるように、リスク・ベネフィット・コストを計測し定量化するためのアプローチや方法論を確立&標準化することが可能かどうかである。


そういったアプローチが欠けている結果、標準化されていないパラメータ(例えば潜在的健康ベネフィット vs. 社会経済的コスト)の比較が、使用される仮定によって大きく変わってしまい、政策形成におけるそれらの比較の価値を制限してしまう。


リスク評価者はしばしば、現行プロセスから出てくるテクニカルなパラメータ(例えば、安全マージン)とリスク管理者の問い掛けの間のギャップを、リスクの「点数化」といった表現を使って自分たち自身で「解釈」することで埋めようとする。しかし、あらかじめ決められたり同意されたりしたスキームの外側でリスク表現を組み立ててしまうと、その役割についての誤解や混乱が起こりうる。

「技術革新は21世紀の生活にどのように貢献すべきか?」

2020 Scienceブログの12月は、Maynardさんが出したお題「技術革新(technological innovation)は21世紀の生活にどのように貢献すべきか?」にゲストが回答していくゲストブログ特集。その経緯は12月10日のブログ記事を参考に。12月14日から18日まで合計10人。それぞれがとても刺激的なのでじっくり読んでみた。おすすめ。

21世紀のためのバイオポリティクス

著者はCenter for Genetics and Societyの副センター長であるMarcy Darnovsky氏。1933年のシカゴで開催されたWorld's Fairのテーマが「技術革新」であり、そのモットーが「科学が発見し、産業が応用し、人がそれに合わせる」だったというのはおもしろい。著者はわれわれはここからどれくらい進歩しただろうかと問う。そして、新規技術のイノベーションについて検討するために必要な5つの原則を提示。

誰のためのイノベーション?何のためのイノベーション?健常者優先主義の影響

著者はCalgary大学の准教授であるGregory Wolbring氏。科学技術イノベーションの話にいつもマイノリティ、特に非健常者の視点が欠けているという指摘。"ableism"とは「健常者優先主義」という意味。本当に責任ある科学技術発展には非健常者の視点が不可欠であるという主張。イノベーションはいったい誰のため、何のためなのかともう一度考えてみる必要があるなあ。

安全性を超えて:新規技術についてのいくつかの大きな問い

著者は、Friends of the Earth AustraliaGeorgia Miller氏。表面的な「リスクvsベネフィット」の比較を超えて、そのフレーミングに立ち返って再考すべきという提案。社会的課題の解決には、ありえない夢を振りまく新規技術の開発に期待するよりは、既存技術の有効利用を妨げている社会経済システムの改革が先決じゃないの?と指摘。要するに、新規技術も社会的課題解決の手段に過ぎず、「新規技術そのものの是非」という狭いフレームで考えるのではなく、既存技術の活用や政治的・経済的解決策も含めた広いオプションの中から何がベストかを考えるべきということ。これもおもしろい。

栄養十分な世界にとってのイノベーション:技術にとっての役割は何か?

著者は食糧・農業・開発問題の専門家であるGeoff Tansey氏。ここでも、技術革新が飢餓や貧栄養といったグローバルな課題を解決することは決してないと指摘。なぜならそれらは本質は技術的問題ではないから。続いて、知的財産権の問題を指摘し、さらに「すべての新規技術は全般的に過剰に宣伝され、かならず意図せぬ帰結をもたらした」と述べる。最後に食物をめぐる倫理的フレームワークを例示。

立ち止まって考えよう:ラッダイト的視点

著者はNRDCのJennifer Sass氏。あえて悪名高い「ラッダイト」と名乗るわけは、彼らは、自分たちの職が失われるだとか、職場環境が非人間的になってしまうという、新規技術の社会的影響を正しく予測していた点において優れていたからであり、その点がたいてい無視されて、「ラッダイト」という言葉は時代遅れという意味の「悪口」として使われる。ただし彼女も「新規技術そのものに反対しているのではない。実際、科学者としてイノベーションは好ましく思っている」と述べていて、要点は、もう少し慎重に「ラッダイト的視点」を取り入れようよ、という提言。

新しい責任あるイノベーションの時代

著者は英国ウェストミンスター大学のRichard Owen氏。タイトルはオバマ大統領の就任演説(和文)の「新しい責任の時代」から取っている。彼は元Environmental Agencyの職員。そこで学んだことは、イノベーションのスピードに、エビデンスに基づく規制は追いつけないということ。つまり、規制だけでは不十分で、それらを補完する「イノベーション過程に責任を埋め込む方法」が必要なのだ。EPSRCの研究資金公募に、研究提案の「リスク一覧表(risk register)」の提出を義務付けた。これは、提案研究に関連する環境・健康・社会的影響を予め検討し、時機にかなったやり方で管理してもらおうという願いが込められている。彼の昨年のES&T論文「規制を超えて:リスク価格付けと責任あるイノベーション」も併せて必読。

エコロジーとナノテクノロジー

著者はLoka Instituteでナノテクを扱っているRichard Worthington氏。コペンハーゲンCOP15に出席しつつ書かれた文章。環境保護運動の夜明けには、産業界のリーダーは環境保護主義は過激派というレッテルを貼った。これが環境やエコロジーの第1のフレーミング環境保護意識が広く行き渡ると、彼らは逆に環境保護主義を取り込み、自らグリーンであると主張し始めた。これが第2のフレーミング。さらに、現在は第3のフレーミングが進みつつあるという。ナノテクノロジーをその典型とする、技術主導の経済成長システムそのものが、(レトリカルに)生態系(エコシステム)として捉えられつつある。抽象的でわかりづらいんだけど、まあこんな感じ。

技術的ジレンマを逆転させる

著者はICTACFSのGeorge Kimbrell氏。ジレンマとは、先進国では技術依存がますます高まる一方で、途上国や環境に負荷を与えるため、「私たちは技術と共存し続けることができないけれども、私たちは技術なしの生活を想像できない」。このジレンマに対して2つのアプローチがあり、1つは自然の制約の中に留める「適性技術(appropriate technologies)」であり、もう1つが遺伝子や分子レベルの操作や地球規模の操作(ジオエンジニアリング)を通して自然の制約を取り払おうとするアプローチである。彼は当然後者に警鐘を鳴らし、「(科学)技術の時代」から「エコロジカルな時代」への転換を主張する。

被告、イノベーション

著者はサリー大学のTim Jackson氏。専門は、持続可能な発展。「落ち葉集め機」と「心肺バイパスポンプ」という2つのイノベーションを比較するにはどうすればよいかという思考実験。これはちょっとまとめるのが難しい。おもしろいけど。

21世紀の技術ガバナンス?ネド・ラッドならどうするか?

著者は、ETCグループのJim Thomas氏。ネド・ラッドは「ラッダイト」の語源になった人物。まずラッダイト運動の大ファンであることを告白。歴史家として、ラッダイト運動についての世間の誤解を解き、彼らは実は新規技術についてはもっとアンビバレントであったこと、そして、ある種の「(参加型の)テクノロジーアセスメント」さえ実施していたことを指摘。彼らは、はた織り機械を市場に引きずり出して、通りゆく人々に判断を仰いだ。これはパブリックコンサルテーションの原型だ。そしてこういう活動を現代の新規技術に応用するために3つの提案を行う。1つは、(手垢のついた言葉だけど)市民参加(public engagement)であり、市民陪審や市民委員会などを含む。2つ目は、グローバルな監視であり、その具体化として、ICENT(新規技術の評価のための国際協定)を提案。これはETCグループがあったらいいなと妄想する国連機関だ。3つ目は、集合知を使ったアセスメント(popular assessment)の提案。例えば、ウィキペディアの新規技術版である「テクノペディア」。うん、どれもおもしろいなあ。

社会的課題と技術革新の関係についての話

心の師匠であるMaynard氏のブログ追っかけをちょっとサボってたら先月からかなり刺激的な展開になっている。11月にDubaiのWorld Economic ForumのSummit on the Global Agendaに参加したあたりから。
ここでは招待された15〜20名ずつからなる80個近くの"Council"でアジェンダについてのブレインストーミングが行われた。カウンシルの名称を眺めるだけでもワクワクする。Maynard氏が招待されたのは、"Emerging Technologies Council"。11月21日のブログによると、"Catastrophic Risk Council"で出てきたアイデアが、"World Risk Organization"!そして、"International Legal System Council"で出てきたアイデアが、"Intergovernmental Panel on Global Risks"だ!もちろんそれぞれ、WHOとIPCCからの連想。さらに、"Emerging Technologies Council"では、「安全で持続可能でかつ成功する新規技術の開発に向けた政策に情報提供するための新しいグローバルセンター」を提案していた。すべて「やられた!」という代物。
翌日のブログでも技術革新についての重要発言。

グローバルな課題に対して適切な技術に基づく解決策を生み出すことは、技術革新政策が、政府や産業や他の関連組織の最高レベルにおいて意思決定プロセスに統合されているときのみ可能となる。そういった高レベルでの管理がないと、必要とされる技術じゃなくて、(ただ単に)利用可能な技術を使うことになってしまうし、人口過剰かつ資源過少な世界で生活するための課題はどんどん増えていくので、重要な課題と技術ベースの解決策の間の断絶が悪化するばかりとなる。

ここはまさに最近、技術開発についてぼくが考えていることとまったく同じ。本来は、社会の課題(つまりその解決というニーズ)に合わせてその都度、研究開発の方向を決めなくちゃいけないのに、専門分野が細分化されすぎてるので多くの人はそんな柔軟な対応はできないし、そんな発想もそもそもない。そこに、技術(=人材)と社会ニーズとのギャップが生まれる。このギャップは誰かが意識的に指摘し、思い切って舵を切っていかないと、どんどん広がるばかり…。いろんな分野で今日本で起きていることそのものだ。

twitterと科学コミュニケーション

最近やっとブログとtwitterの使い方が自分なりに整理できてきた。ぼくがtwitterを知ったのはAndrew Maynard氏のブログだった。MaynardさんTwitterを使って科学コミュニケーションに挑戦したのが、ちょうど1年前の2008年12月(リンク)。5日間続けて毎日5つずつメッセージを流すという試みをやった結果、非常に楽しかったとのことだった(リンク)。
ちょうどこの時期、TNTlogのTim Harper氏や、ライス大学のKulinowskiさんもtwitterを始めた。また、ICONもEHSニュースtwitterに流し始めた。今では多くのニュースサイトがtwitterで発信している。2009年4月には、twitterもいろいろ分かってきたということで、MayrnardさんがMachable.comに「現実を見る目を変える13の"Twits"」というリストを投稿。これを見て、まずはMaynardさんとこの13人をフォローするという形でぼくもtwitterを始めてみた(その後、大部分はunfollowしちゃったけど)。
その後、Maynardさんはたびたび「バブルチャート」を使って、科学tweepsの可能性について言及する(リンク)。これは6月8月にアップデートされた。これはDavid Bradley氏の「科学twitter仲間」リストをもとに、「一次フォロワー」「二次フォロワー」「社会資本」という3つの指標を使って解析するものだ。一次フォロワーは単なるフォロワーの数、二次フォロワーはフォロワーのフォロワーまで含めた数。最後の「社会資本」は、フォロワーの平均一次フォロワー数。つまり影響力の大きな人にフォローされるとこの数字が大きくなる。そろそろ日本人の有名tweepsが出始めてるのでこういう分析をやってみればとりあえずは受けるだろう。ちなみに、これらの解析に使ったTwinfluenceというサイトは現在、twitter.comから何やら言われて停止中らしい。

食品ナノテクはどんな方向に進むんだろうか?

先週、東京国際フォーラムで、食品安全委員会セミナー「食品分野におけるナノテクノロジーの今−世界の動きを中心に−」を聞いてきた。あんまり客がいないかと思ったら満席だった。
茨城大学農学部の立川氏が最初にイントロ、世界各国の法規制の現状、市民参加の試みについて講演。続いて、オーストラリア・ニュージーランド食品安全基準庁(FSANZ)のBartholomaeus氏の講演。Bartholomaeus氏は、FAOとWHOの共同専門家会議(Joint FAO/WHO Expert Meeting on the Application of Nanotechnologies in the Food and Agriculture Sectors)の議長でもある。今年6月に専門家会議が開催され、まもなくその報告書が出るそうだ。
Bartholomaeus氏は、有害性の面で重要なのは「サイズではなくて新規性(novelty)」だと強調した。英国RCEPによる約1年前の報告書において「ナノ材料の新規性は、物質の特性、特に新しい機能性にあるのであって、そのサイズにあるのではない」だと主張してたのを思い出した(ブログ記事へのリンク)。ただ、Bartholomaeus氏の言う「新規性(novelty)」はどうも2要素から成り立ってるように思えた。

  1. これまで食経験がないという意味の新しさ
  2. 新しい機能の裏返しとしての有害性の新しさ

この2つは分けて考えた方がいい。英国RCEPが言っているのは後者であり、前者は食品安全特有の話。食品安全の分野ではどういうわけか、これまで食べてきたものは安全とみなすというルールがある。欧州では、「新規食品(novel foods)」を「1997年5月(法律ができた時点)以前に欧州であまり消費されていなかった食品」と定義しており、1997年5月以前からふつうに食べられていたものは安全性評価の対象ではない(新規食品規制についてのブログ記事にリンク)。米国では、GRAS(Generally Recognized As Safe)という分野がある。日本でも、「原料、製造・加工方法等を変えることなく、同じ製品(関与成分)が食生活の一環として長期にわたって食されてきた実績があると社会一般的に認められるような場合であって、かつ、これまで安全性上の問題がない場合には、安全性評価を要しないと考えられる」(引用)というのが基本的な考え方だ。これに対して、新規開発食品には非常に厳しい安全性評価が行われるので、二重基準雑感496)と呼ばれてもしようがない。
工業化学物質については、欧州REACH規制に代表されるように、新規物質と既存物質の垣根がだんだんなくなっていくのに対して、食品安全分野では(欧州でさえ)誰も疑問に思わないんだろうか?それともみんな分かっているんだけど、手をつけるとたいへんなことになるから、そうっとしておくべき「パンドラの箱」なんだろうか?
食品ナノテクについては、現在、有害性や体内動態についての情報があまりない。これから科学的な調査が進むとなんらかの「可能性」や「懸念」はきっと出るだろう。でも本来は既存食品との相対値で議論されるべきにもかかわらず、絶対値で議論されてしまう恐れが高い。そうすると、ちょっとでもネガティブな情報が発せられると、業界全体が萎縮してしまうだろう。
それから、Bartholomaeus氏のプレゼンの後半で、今後の展開の1つに、「いずれ、ナノマテリアルがからんだ産業事故や公衆衛生問題が生じるだろう。たぶん原因はナノとは直接関係ないだろうけど、対処を誤るとナノテクへの反対運動に火をつけてしまうので規制当局は日頃から準備を怠らないように」というくだりがあった。同感。すでにドイツの「マジックナノ騒動」、中国での「ナノ粒子で労働者2名死亡騒動」などが起きている。今後もこういう案件は続くだろう。食品に関係する事案だと、マスメディアに取り上げられる可能性はより一層高まる。

行動経済学会でLoewenstein教授の講演を聞く。

いい講演はいい触媒になる。聞きながらいろんなことを思いついてメモした。George Loewenstein教授はその守備範囲の広さと新しいものへの感度の鋭さにいつも脱帽させられるんだけど、彼の中でいまホットな行動経済学ネタは、"Nudge"系の話だったことにちょっと驚いた。オリジナルの事例は豊富で彼なりの切り口なんだけど、講演で何度も引用してたThaler and Sunsteinの著書"Nudge"にややかぶる。既視感があったのは、過去のSociety for Risk Analysis (SRA)でCass Sunstein氏の講演をすでに聞いていたからかもしれない。

講演を聞いて初めて知ったことは、2003年にThaler and Sunsteinが"Libertarian Paternalism"と初めて命名したのと同時期に、Loewenstein氏らも同じ内容を"Asymmetric Paternalism"と名付けた論文を発表していたこと。人目を引くとかキャッチーだって点で、"Libertarian Paternalism"の圧勝だと思う。そもそも"Asymmetric Paternalism"はアカデミックすぎるし、正直意味もよく分からない。

これらの言葉の意味するところは、「人々の怠惰・錯誤・偏りは通常は彼らにとってよくないものだけど、それらありきで制度設計することによって、怠惰・錯誤・偏りそのままでも彼らが得をするように導いてあげる」という感じ。この「導いてあげる」ニュアンスを一番うまく伝えてる単語が"nudge"(肘でそっと突くとかという意味)。ここでいう「人々」には、実は、一般人だけでなく、様々な専門家も含まれる。政治家だったり、たぶん野球やサッカーの監督だったり、アマチュアであれ、プロであれ、人々はヒトである以上、何らかのバイアスや錯誤から自由になることはできない。

伝統的な経済学は、自分自身にとって何がベストか一番よく知っているのは自分自身であるという仮定のもとになりたっていたので、借金漬けだとか肥満だとかの先送りだとか、自分にマイナスな行動を説明することができなかった。そこで、第一世代の行動経済学は、そういった伝統的な経済学が「例外」とした事象を次々「説明」していった。そして、続く第二世代の行動経済学は、その「例外」を「ありふれたこと」あるいはむしろ「基本」としてとらえた上で、人々の状態を改善するための制度設計を考え始めた。これは"Nudge"で最初に例示されたカフェテリアのメニューの並び方から、様々な場面でのルールや、法律や規制のあり方にまで話は及ぶ。

環境・健康・安全といった分野に、社会科学的な知見が必要だとよく言われるわりに、具体的に何が求められているのかよく分からないことが多い。少なくとも行動経済学的な知見は必要だろう。健康については、肥満問題を通して、行動経済学はしばしば対象としている。環境も、地球温暖化問題を対象に行動経済学的アプローチが検討された例がある。ただ、安全・安心についてはまだあまり適用例がないかもしれない。ヒューマンエラーなんてNudgeの得意分野かもしれない。